貧乏人、パトロンになる
今、某女優の写真集出版企画中止で注目を集めてしまっている、クラウドファンディングのプラットフォーム「CAMPFIRE」
その中で、一つの企画が目標を達成した。
インドのスラム街に住む子ども達に石鹸を届け、手洗いを習慣づけるソーシャルビジネスである。
この企画の主催者によれば、インドでは、
・7000万人が石鹸を手に入られずにいる(価格が高い)
・毎年220万人が下痢で亡くなっている
・400室ある一つのホテルでは、毎年3500kgの固形
石鹸が捨てられている
という状況である。
この状況を改善するために、企画者は、廃棄されるはずの使用済み石鹸をホテルから回収、リサイクルし、スラム街の子供達に配ろうというのである。
この企画の企画者は、大学4年生である。
ここまでであれば、一過性の学生ボランティアの域であったかもしれない。
しかし、彼女は先進国の消費者がこの石鹸を一つ購入することで、スラムの子供達に二つの石鹸が配られるシステムを考え出した。
いわゆる「発展途上国に学校を作りました」という学生ボランティアとの違いはここにあると考える。
学校を建てたら、
そのあとの資金はどう持続的に確保していくのか?(フェアトレードで商品を売っても、その商品が先進国消費者の消費傾向と著しく相違していることに気づかない。ミサンガとか・・・)
ボランティアを行う学生が学校を卒業したら、学校の運営・対外的な交渉はどうしていくのか?
もちろん、学生の世代が変わっても運営を続けていけるように、持続的に学校の運営を行なっている学生団体も多数存在している。
しかし、一過性のボランティアをして、人に感謝されたいだけの人間のいかに多いことか。
そしてあとで潰れてもそれは自分の責任ではないと言えるのだ。
私は、それで団体自体が消滅した例を一つ知っている。
ついでに言うと、学生ボランティアは、最も大事な部分をやりたがらなかったり、途中でもっと周囲から注目を集める問題へと取り組みを変えることが多いのだ。
東日本大震災ボランティアでは、現地責任者に「じゃあ君トイレ掃除お願い」と言われた一人の学生が
「私は被災者の方に元気になって欲しくて、ここまで来たんです。どうして私がそんな汚いことしなくちゃいけないんですか」
と言い放ったそうである。
また、大震災の直接的な被害が落ち着きつつも、外部からの目には見えづらい課題がまだまだ山積していた頃に居合わせた別の学生は、広島土砂災害が起こると、「私、もうやることないじゃないですか」と言い残し、すぐそちらに向かって消えていったそうな。
本当に腰を入れて取り組まなければいけない問題は、目に見えないところにある。
この企画者は、そのことを理解し、スラム街住民の健康を守るためには何をすべきか考え出したのではないだろうか。
このクラウドファンディングは目標額を達成したが、既に次なる目標を設定している。
400,000円である。
決して無理な金額ではないだろう。
この支援は3,000円から行うことができる。
詳しくは、CAMPFIREの上記添付ページにて確認して欲しい。
私も微力ではあるが、協力させていただいた。
知らないところで知らない誰かの健康が守られている。
それこそ次の時代に必要な持続的ソーシャルビジネスではないだろうか。