突貫紀行 ヨーロッパ(出立編)
”身には疾あり、胸には愁あり、悪因縁は追えども去らず、未来に楽しき到着点の認めらるるなく、目前に痛き刺激物あり、欲あれども銭なく、望みあれども縁遠し、よし突貫してこの逆境を出でむと決したり”
この文章は幸田露伴『突貫紀行』からの抜粋である。
これは露伴が、文学の路を志し、北海道での電信技師の仕事を辞め、東京まで帰ろうとする紀行文である。
仕事を始める3月には、私も、このような露伴の熱い想いに触れた影響もあってかなくてか
「死ぬ!ずっとあそこで働いたら死ぬ!ヤダヤダヤダ!何とか逃げる方法を模索したい!逃げた気にでもいいからなりたい!」
という積極的な防御姿勢をもち、海外への旅を実施したものだった。
(その姿勢は今も変わらない)
私は、友人とミュンヘン&ウィーンを訪れることにした。
成田〜アブダビ〜ミュンヘンに至るルートをエティハド航空を利用して行くことにした。 国際線に乗ること自体が初めてだったけれど、サービス・接客は可もなく不可もなく普通だったと思う。
映画は日本語で見られるものは2作ほどしかなく、搭乗員さんは、夜通し客と喋り続けていたが…。 (当たり前のことなのかもしれないけど、お酒のお代わりが無料なのには驚いた)
↑機内食はこんな感じ
「味の濃いものは超濃厚!薄いものは無味!」である。
基本的に、この豆が入っている副菜が無味、パンの下にあるデザートが甘すぎた…。
しかし、英語も碌に話せない私たちの言葉に一生懸命耳を傾けてくれた搭乗員さんには、本当に感謝している。
友人は、
友「ティープリーズ」
搭「cheese? sorry,I don`t have cheese」
友「ノオオオウ!ティー!(滑舌調整したものの何故か"シー"に聞こえる)」
搭「she?」(怪訝な顔で周りの女性客を見回す)
友「ティー!ノットコーヒーじゃない方!」(コップを指差しながら)
というやりとりを行き帰りで一度づつ繰り返していた。
私は、「なんだこの凄まじいまでの英語力は」と、この度の行く末を始終案じ続けることとなった。
(その後も"write"を”ワライト”と読む曲芸などが各地で展開されることとなった)
ミュンヘン空港に到着すると、空港の入国審査では
「どこから来たの?」
「日本。成田から」
「はいOK」
というのみで通過することができ、セキュリティにも一抹の不安を覚えつつ、空港からミュンヘン市街へと向かうこととなった。
私たち一行は、大学を出てブラックと言われる業界で働く恐怖(友人は介護)を、旅の不安で消しとばす事には成功したものの、言語の壁によって、旅を楽しむという心を初日にして失い始めていたのである。
(ミュンヘン編に続く)